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心のメモ感覚で書いてます。

涙のシューカツ爆病み体験記

一年以上続いた就職活動がようやく終わった。来年から(予定通り配属されれば)記者になる。

私は最初、アナウンサーを志望していたので3年の5月から本選考が始まっていた。

そのため、ずっとガチの就活をノンストップで行ってきたことになる。

 

マジ、病んだ。

 

私の就活を簡単に時系列で表すとこうなる。

大学2年3月 アナウンサーを目指すと決める

大学3年4月 アナウンススクールに入会

大学3年5月~ アナウンサー就活スタート スタートが遅かったからか、民放キー局の本選考対策はろくにできずにことごとく落ちる

大学3年7月 アナウンサーの地方局のインターンに参加。周囲との差に悩む

大学3年8月 テレビ局の報道部門のインターン(東京・大阪)に参加。あまりの激務ぶりに驚く。

大学3年10月 アナウンサー試験を受ける傍らで新聞社の記者インターンに参加。記者のほうがアナより楽しい。

大学3年11月 準キー局でアナウンサーの本選考が始まる。ストレスにより5kg増加。

大学3年12月 実はアナウンサーよりも記者のほうが自分のやりたいことに近いと気づく。アナウンススクールをやめ、記者志望に変更。

大学3年1月~ 周囲よりも能力が低いことに悩む。すでにTV局の内定を決めるゼミの同期もいてかなり焦る。

大学3年2月 面接練習をしてもうまく話せず、ストレスmax。ESを書いていてもこれで通るのが疑心暗鬼に。記者がダメだったらどうしよう、とここにきてマスコミしか見ていなかったことを後悔しだす。過食が悪化する。

大学3年3月 記者職の面接を受ける。圧迫面接がトラウマに

大学4年4月 記者職だけでは不安になり、食品業界も見るように。営業に興味はないのに惰性でESをだす。周囲で内定者がチラホラでる。嬉しいけど焦る。

大学4年5月 web面接が中心だが、内定は0。周囲との差に焦る。

大学4年6月 初めて最終面接に進む。そしてそのまま内定。

 

とにかく人と比べて落ち込むことが多い一年だった。

最もつらかったのはストレスによる過食だった。アナウンサー志望なら体型にはとても気を使わなければならないのに、ストレス解消の手段が食べることしかなく、何かストレスがあれば食べ、その分太る。そしてその体に絶望する。再びストレス解消に過食する………の悪循環。

 

クリスマスに恋人とホテルでお風呂に入ったときに、「なんかお腹…太った?びっくりした」と言われたのがさらにショックで泣きそうになった。(恋人は悪くないです、たぶん私でもビックリして同じこと言っちゃう)

 

それでもストレスの解消に食べてしまう。頭では「食べたら余計悪化する」とわかっているのに、気づいたら食べている。

 

アナウンサーのESに出す写真も、スクールの先生に小顔の加工をされ、さらに自分でもフォトショで無駄な肉の部分を落とす加工をしたりしていた。加工によってスラリとした自分の写真を見るたびにむなしくなった。

 

食べ過ぎて気持ち悪くなって、泣きながらトイレでえずいているときが本当に情けなくてつらかった。

 

12月。

記者志望に変更したのは、やっぱり現場に行って自分の感じたことを伝えたいと思ったからだった。文章を書くのが昔から好きだった、ということもある。

アナウンサー試験中は「君は落ち着きすぎているね。総合職ならそれでいいけどアナウンサーでそれは…」と言われることも多く、無理してテンションを上げながら話していた。

でも、文章なら、素の自分でいられた。

 

1月。

再び記者インターンに参加する。周囲の参加している人たちはかなりレベルの高い人たちだった。自己紹介でも院出身の人とか、留学から帰ってきました、という人たちばかり。私はと言えば、(ちゃんと考えればもっとマシなものがあっただろうに)「バイト4つしてます」くらいしかインパクトのあるネタがなく、顔から火が噴き出そうな気持ちだった。

ただ、取材体験の文章だけは褒められたのが嬉しかった(もちろんプロから見たらまだまだ粗削りで未熟な文章だったと思うけど)。やっぱり人の話を聞いて、それを客観的に起こしたり、五感で感じたことを文字に起こすことは好きだなぁと思った。

 

このころ、たしか恋人と付き合って2年目のお祝いをした 。私はものすごく酔っぱらっていたこともあって「シューカツつらい」だとか「なんでそっちはシューカツしないんですか」とか結構恋人に当たってしまった(サイテ~)。少なくともお祝いの席で言うことじゃない。

それでも失礼な私の態度に怒ったりすることなく、黙って一通り私が話し終わるまで聞いて、彼なりに励ましてくれた。マジで感謝しかない。

 

つらかったことばかり思い出すけれど、私の周りの人は本当に良い人たちばかりで、友人や恋人、家族の言葉に救われたことも少なくなかった。

 

記者職の最初の面接は3年の3月だった。

大手のところで、二次面接まで進んだが、その二次面接というのが、沈黙による圧迫面接だった。面接官は3人いた。

何を話しても、何も反応がない。話し終わったあとも、次の質問が来ず、1分間まるまるシーンとした状態が続く。背中に冷や汗が流れる。そして、やっと面接官が口を開いたかと思えば、「君、もういいよ」の一言。

 

それまで私はその会社に入りたくて、ほかの会社はそっちのけで2週間は対策に費やしていた。なのに、実際の面接時間はたったの5分で、しかもほとんどが静寂。

 

私のやってることって無駄だったのかな、

そんなに変なこと言ったかな、

私、記者も向いてないのかな…。

このままどこにも決まらずにフリーターになったら…。

と、どんどんマイナス思考になっていく。

 

それ以来面接について考えるたびにあの辛い沈黙を思い出すようになって、3月も過食がひどかった。

 

コロナの影響で企業の採用活動がストップになるとニュースで報道されたときは、むしろ「いったん休める」という嬉しさのほうが強かった。

 

4月。

記者職だけでは怖いなと思い、以前から興味のあった食品業界も見始めた。かたっぱしからESを出した。このころはもうどこでもいいから内定をくれ、という心境だった。

 

5月。

web面接が始まる。周囲の友人にはちらほら内定をもらっている人が増え始めた。「そりゃあの子とだったら私も働きたいし、内定もらえるのも頷ける」と思い、心の底からよかったなぁ、と思う一方、「自分は誰からも求められないのでは」、という暗い気持ちもあった。

 

このとき手持ちとしてあったのは、大手の新聞社(A社)と、かなり専門的だが興味のある分野を扱う新聞社(B社)の計2社。加えて、食品業界数社が手持ちとしてあった。

しかし、食品業界はことごとく落ち、「ここならいけそうだな」と思うところは1社だけ。

さらに、A社(というかすべての大手新聞社)には「夜討ち朝駆け」というものがあり、入社したとしても最初の数年は朝から警察官の自宅に出向いて一緒に出勤し、帰りも警察官が仕事を終えて自宅に帰るまで、警察署前で待機し、同行しなければならない(ネタを得るため)。また、何か緊急の事件が入れば夜中であろうと取材に行く必要がある……など、まったくプライベートの時間が確保できない過酷な仕事内容におじけづく。

 

元々そんなことは覚悟した上で受けていたつもりだったが、あくまでつもりに過ぎなかった。二次選考まで進んだところで、「本当にそれでいいのか?」と考えはじめたら止まらなくなり、A社の選考を辞退した。

 

6月。

このときの手持ちはB社と、食品業界2社。あまりにも少ない。

が、このB社がなぜかトントン拍子で最終選考まで進む。

ここは夜討ち朝駆けもなく、最初の5年間は東京で取材ができ、若いうちから仕事もいろいろ任せてもらえる。自分の興味のある分野について深く取材できる点も魅力的だった。

地方転勤はあるが、私はむしろ地方に行きたいと思う派だったのでそれは全く問題なかった。

それに、人事の方も面接官の方々も穏やかで落ち着いている人が多くて魅力的だった。

「ここなら、心の底から働きたいと思えるな」と、最終選考までの1週間、内定をもらえるように必死に企業研究をした。

 

結果、本番の面接は少々圧迫気味ではあったものの、その日のうちに無事内定をいただくことが出来た。

1年間ずっと「残念ながら貴殿の思いには応えることが出来ず…」というお祈りメールばかりもらっていたが、B社の人事の方に「○○さんと一緒に働けることになってこちらとしても本当に嬉しいです」と言われたときは泣きそうになった。

 

 

終わったからこそ言えることだが、私はずっと無理をしていた。

アナウンサーを目指すにしても、話すこと・容姿のキープにおいてとても無理をしていたし、大手の記者職も仕事内容に不安があるのに「記者を目指すなら大手でしょ」と強がって受けていた。

食品業界に関しても、営業になんて全く興味がないのに「たいていどこも営業のほうが採用される人数が多いから」と営業志望で大手の食品会社にのみESを提出していた。

 

別にネームバリューがあったとしても、自分が素の状態で働けないところでは会社とのマッチング率が低いのだから、選考も進むはずがない。

一方で、自分が心の底から「ここなら働ける」と思うところは、相手も「こいつは仲間だな」と思ってくれるのか、トントン拍子に選考が進んだ。

 

今、過去の過食に苦しんでいた自分に声をかけてあげられるなら「無理しないで、自分のしたいこと・できることに目を向けて探せばいいんだよ。大手じゃなくてもいいんだよ。」と言ってあげたい。

 

難関大学出身だから、大手で誰もがうらやむようなところに行かなければ、なんて、本当にいらない考えだった。

 

それでもやっぱり大手じゃないと、と考えてしまうし、ほかの人からの目線(特に両親の評価)はとても気になる。

でも、自分の行きたいと思える会社に進めると決まったとたん、そんなプライドはどうでもよくなった。

 

私は何をあんなに悩んでいたんだろう、と思わなくもない。

でも、あのとき苦しんだ自分を否定したくないし、きれいなものに昇華したくもない。

だから、つらかったこともここにちゃんと記録しておこう、と思い、これを書いた。

 

 

 

 

6/12 加筆・修正

追記・意外と多くの人に読まれていたようなので誤解のないように書いておくと、私は大手を否定しているわけではありません。私が言いたかったのは、自分の肌に合ったところに進めばいいということであって、仮に大手の会社と自分の相性が合うのであれば万々歳だと思います(やっぱり大手は素晴らしい会社が多いので)。でもマジでストレスはよくない。健康的なシューカツが一番だと身をもって実感しました……。