serious bunburying

心のメモ感覚で書いてます。

誰か止めてくれ

どうしてかわからないけど涙がボロボロ目から出てくる、ってことが年をとるにつれて増えた。

 

この間は、nhkの人と話そうとして涙が出た。緊張していたのかもしれない。なんでこんなに涙が出るんだろう、心配してるよ先輩も教授も。泣き止まなきゃ、あーーまた出てきたなにやってんの自分。

 

夏合宿もそうだった。

フレキャンの悩みとか告白されてしまった悩みとか、話しているうちに涙があふれて止まらなくなってしまって周りを随分困惑させてしまった。

 

高三の時、彼氏との登校中にあまりにも幸せで、好きすぎて泣いてしまった。

なぜかわからなかった。

 

今日もやってしまった。

メディコムの面接が終わった瞬間涙があふれて教室の前にいた係の人たちはそんな私を見てぎょっとしていた。圧迫面接が怖くて泣いたわけではない。

 

でも今日気づいた。なんで涙が出てしまうのか。

最初は緊張と、そこから開放された安心感から涙が出てしまうのかと思っていたけど、違う。

自分の考えをうまく言語化できなくて相手に伝え切れなかった時に悔しくて涙が出るのだ。

 

なぜ、嫌なのか、なぜ好きなのか、どうしてこんなにも胸がいっぱいになるのか、基本的に凪いだ私の心の中に、たまに浮かんでくる強い衝動がある。それを他人に伝えようとすると、どれも口から出した途端に言葉が熱さを失ってしまうような気がする。相手もなんだかピンときていない顔をしていて、それを見ると悲しくなって、言語化できない自分に腹が立って涙が出てしまうのだ。

これじゃあミルクが欲しくて、オムツを替えて欲しくて泣きわめく赤ん坊と一緒じゃないか。

 

年をとるにつれて、できることは増えていくけどできないことも同じくらい増えてくる気がする。

 

他人に素直な気持ちを吐露することに恐怖を覚えるようになった。相手の負担は減ったかもしれないけど深い関係になる人はその分減ってしまったし、私は一度心を開いた人にもうまく甘えられなくなってしまった。大抵は人の話を聞く側だ。私の個人的な話なんて聞いたってどうせ他人事で面白くないだろうし話す必要ないだろう、とそう思ってしまう。

 

ツイッターも、どうでもいいことしか書かないのはそれが理由。重いことをかいてしまうと見てる側は不快になる。なら、なんでツイッターなんてもの、あるのだろう。ツイッターでつぶやくたびにそこに書かれなかった言葉たちが死んでいくような気分になる。

 

みんなはどうなんだろう。

なんでみんなは涙が出ないんだろう。

わたしだけ?

 

涙が出た後はボーっとして頭が熱くなってなにも考えられなくなってしまう。頭の中で言葉がまた熱されてドロドロに溶かされたまま体内をめぐっている気がする。知恵熱っていう言葉があるけどこういうことを指すのだろうか。

 

話すことが苦手だ。

口に出して言葉にすると嘘っぽくなってしまうのはなんでだろう。無意識に自分の気持ちを捻じ曲げて相手に伝えようとしているのだろうか。もしそうなら、わたしはもう喋るという行為をやめて感情だけをとっておきたいな。