serious bunburying

隕石で手をあたためていましたがこぼれてしまうこれはなんなの

カラフル

また読んでしまった。

読むたびに良い話だなと思う。

 

「人は自分でも気づかないところで、だれかを救ったり苦しめたりしている。

この世があまりにカラフルだから、ぼくらはいつも迷ってる。

どれがほんとの色だかわからなくて。

どれが自分の色だかわからなくて。」

 

「ときには目のくらむほどカラフルなあの世界。

あの極彩色の渦にもどろう。

あそこでみんなといっしょに色まみれになって生きていこう。

たとえそれがなんのためだかわからなくなってもーーーー」

 

好きな一節。

そう、見方を変えるだけでどんな風にも取れてしまう。

どんなことでも1色しかないことなんてない。かならずいくつかの色がある。ほんとに生きづらい世の中だよね。人間によってどういう色である事象Nを見るか変わってくる。そしたら同じNでもそれについて語るとき、個々人でちがう色だと思ってるんだから意見が対立したって当然だ。

言葉は鮮明すぎるから、個人で感じるその色の違いが言葉によって浮彫りにされてしまうから、同じNなのに全く別のものに思えてしまうんだ。

 

そのことに嫌になってしまうことっていっぱいある。どうしてわかってくれないの?基本はこの気持ちから始まると思う。違うからこそ面白い、そう考えれば良いのは自己啓発本にいっぱい書かれていることで、もう見飽きた。それができれば苦労しないんだ。違うゆえに苦しむことっていっぱいあるんだ。

 

幼稚園に入る前、学童保育のころ、私は問題児だった。

小さな集会室でお母さんと2,3歳の子が手をつないでリレーをし、無事ゴールができた子は出口でお菓子をもらえる、そんな催しものがあった。
大好きなお母さんと手をつないでリレーの列に並ぶ。どんなお菓子がもらえるのかな、なんてわくわくしながら。当たり前だ。そういう流れなのだから。
なのに私はルールだなんて完全に無視、いきなりお母さんの近くから離れてダッシュ、お菓子を渡す係の保育士さんのところにいってリレーすら終わってないのに、ゴールをした親子たちにお菓子を配り始めるという・・・・・。私の母は唖然、周りのお母さんたちも「恵子ちゃん大変ね」なんて言われていたらしい。

 

周りの流れやルールに合わせることが大の苦手だった。

 

公園で仲の良い子が私の知らない子と遊んでいたのに、無理やり一緒に遊ぼう!って声をかけて煙たがられたこともあった。

「恵子ちゃん嫌い!」って言われていたらしいこと。母から聞いて幼いながらに結構ショックだった。

 

幼稚園になってから、今まで無自覚でほかの子と行動を合わせなかったのが、「私はほかの子とずっと一緒にいると疲れる」ということを自覚し始めた。けどずっと一匹狼のような行動をしていると嫌われてしまうのもわかっていたからセーラームーンごっことかには参加していた。でもどうしても疲れてしまって。年中さんのころは休み時間にただひたすら竹馬を一人で黙々とやっていた。記憶がある。年長になると女の子たちがおままごとをしている中一人でベランダにでてぼーっとしていた。輪に入っていることが苦痛だった。一人でいると気分が落ち着いていった。私が友達と遊ばなくても時間は過ぎていくし世界は回っていく。なら別に無理をする必要はないじゃないか・・・と。

 

小学生になるとなかなかそういう時間は取れなくなる。一人でいると恥ずかしい、そんな風潮が流れるようになっていった。中学生になると余計に。先輩との上下関係や暗黙の規律。そういったものに縛られると反発したくなる性質が人一倍強かったみたいで、私はひそかに対抗心を露わにしていた。みんなだっておかしいと思うでしょう?どうして鞄にかわいいキーホルダーをつけちゃいけないの?学校の規則にダメなんて書いてないのにどうして私の部活だけそんなに厳しいの?誰にも迷惑かけないのに。どうして鞄をリュックみたいに背負っちゃいけないの?片方の肩が痛くてしょうがないよ。どうして理由がないルールに従わなくちゃいけないの?・・・・・私が「規則違反」をすると数人も違反しだした。その数日後なぜか私だけ先生に呼び出された。「最近三年生の規則違反が目立ちますけど、あなたが言い出したからみたいですね」と。おい誰だよ先生にそんなこと言ったやつ。

鬼教師は怖かった。反省文を書かされ、他の部員の前でいかに自分が悪いことをしたか語らされた。でも心の中では全く反省なんてしていなくて謝罪しながら自嘲的な笑みを浮かべていた気がする。私、ダメな副部長だったな。

 

長くなってしまったけど、私はとにかく納得のできない規則や上下関係に縛られるのが大嫌いで、けど周囲ではそれに従うことは当たり前で、いつもズレを感じていた。

 

大学生になって、ダメだといわれることが少なくなった。
途端に楽になるかと思いきやそうではなかった。
大学という場所は規則がない分自分の中の倫理観で動いていかなければならない。
小~高校は学校側がある行動に対して”何色”かを決めていたからある意味楽だったのかもしれない。

 

この世があまりにカラフルだから、ぼくらはいつも迷ってる。

 

カラフルであることは自由であるとともに私を困らせる。でも。この小説を読んでいると「まぁ、そんな世界でも悪くはないかな」と思えてしまうのが不思議だ。単色の世界よりもずっと良い。けど、そう、迷う。迷っていてもいいのかな、と思わせてくれるのが「カラフル」の一番の魅力かもしれない。