serious bunburying

心のメモ感覚で書いてます。

おなかをみせる

本音で話すのが、とても苦手だ。

私と恋人は、来年の1月で付き合って3年になる。

最初の1年は毎日好き好き言っていたし、不動産屋の前を通るたびに「こんなところに住みたいね」なんて話していた。夜の方もかなり頻繁だった。

2年目(二人とも大学3年)に入ると、以前ほど好き好き言わなく/言われなくなったが、お昼には一緒にお弁当を食べたり、デートや旅行にも行ったりして普通に仲良くしていたと思う。

マンネリを感じ始めたのは大学3年の12月ごろからである。まず夜のほうを全くしなくなった。これは私にも非があるのだが、就活のストレスなどが積み重なって自分の外見に全く自信が持てなくなってしまったのだ。彼が私についてどう思っていたかはわからなかったが、夏ごろからだんだん誘われなくなったこともあり、幻滅されたのだろうなと考えていた。

 

3月に緊急事態宣言が出されて以降は、ほとんど会わなくなった。私は就活で精神的に追い込まれていて彼に会いたくなかったので、会えないことが辛いとは思わなかった。彼も自分のしたいことをして、お互い自粛生活に満足していたと思う。LINEは毎日していた。

 

6月に私の内定が決まり、月末に久々に会った。私の就職活動が終わったことを彼はとても喜んでくれたが、彼自身はきっと自分の今後について色々悩んでいたのだと思う。彼の進路について聞いても、あまり話したがらなかった。その後も将来についての話が二人の間でのぼることはあまりなかった。

 

しかし9月ごろ、彼が突如就活をスタートさせる。もともと芸能活動で挑戦したいことがたくさんあったらしく、卒業後はバイトでお金を稼ぐと言っていたが、家族から猛反対されたらしい(それはそう)。

かなり遅めのスタートで私は心配していたが、10月末ごろにコンサル職の内定をもらい、就活を終えた。

 

そして11月。二人とも残すは卒論のみで、気負うものがあまりないからこそ、私は彼との関係について改めて考えることが増えた。

大学四年生のカップルの悩みに、今後も付き合い続けるか否かがあると思う。しかし、「今後も私と付き合い続けますか?」と聞くのはとても勇気のいることである。そもそも私と彼は上記の経緯を見てもらうとわかるように、あまりお互いのことに深く干渉しない。二人でいるときも他愛ない会話しかしておらず、真面目な話はほとんどしてこなかった。

 

だからこそ、本音で話すことにとても緊張した。

昨夜、「明日、真面目に聞きたいことがあります」とLINEして、自分の逃げ道を断った。

会ってまず聞いたのは、「3月からのコロナ期間中、浮気とかしませんでしたか?」という質問。というのも、「昨年12月から全く夜の営みをしていない」と女友達に話してとても驚かれたからだ。「それ、普通なら浮気を疑ってもおかしくないよ」という彼女の言葉で、今まで私があえて見ないふりをしていた懸念が鮮明になって、一気に不安になった。

彼曰く「それは全くない」ということで、心配させてしまって本当にごめんと謝られた。本当にコロナが原因で接触を控えているらしい。(彼の親が高齢者の医療従事者のため)

 

本当はもっといろいろと聞きたいことがあったが、また本音をぶつけるのが怖くなって、「聞きたいのはそれだけです」と続きの追及をやめてしまった。

でも、今を逃したら一生聞けなくなる気がして、「私の仕事には転勤があるんですけど、転勤したとしても付き合い続ける気はありますか」と、ずっともやもやしていたことを聞いた。

すると、「うーん、どうだろうね…」とはぐらかされてしまった。

「今は分からない、2年目とかで転勤になってしまったら、(別れることも)考えないといけないかもしれない」「○○ちゃんにとって若い時間は貴重だし」と言われ、私は泣きそうになった。

(男なら、「俺についてこい、俺から離れるな、離れても好きでいつづけるよ」くらい言ってよ!!!)というのが本心である。

「女性にとって若い時間は貴重」というのは紛れもない事実だが、さきほどの回答に彼の気持ちは全く含まれていなかった。

(もしかすると、彼は私に飽きているのかもしれない、本当は別の女の子と付き合いたいのかもしれない)(私を理由にしているけど、それも私を傷つけないための建前なんじゃないか)と疑う気持ちが止まらず、再び涙がこぼれそうになった。が、耐えた。

 

その後、卒論を進めるべく二人でカフェに入るも、私はまったくと言っていいほど集中できなかった。というか、泣くのを耐えるのに必死。向かいで平気そうな顔をしている彼がうらめしくて、心の中で色々なものが爆発しそうだった。

 

2時間ほど卒論作業を進めたところで、会計を済ませ、店を出た。「ちょっと座らない?」と聞くと、「もう帰らないといけない」と言われる。(これを逃したらもう、ずっと聞けなくなる気がする。それでいいの?)と考え、思い切って言った。

 

 

「あの、先輩は、私と仕方なく付き合っているんですか?」声が震えた。

 

「にゅ!?なぜそうなるポン!?」彼はすごく驚いていた。いつもなら笑うところだが、このときの私に笑う余裕は全くなかった。

 

「もうすぐ、付き合って3年で、マンネリになってもしょうがないじゃないですか。ひょっとして先輩は、嫌々ながら、優しさで私と付き合ってくれてるんじゃないかって……」

「そんなことないよ」

「………私のこと、本当に好きですか?」

「うん。好きだよ。やさしさで付き合ってるなんて、そんなことないよ。………ごめんね、そんなこと考えさせちゃって、ごめんね」

もうこのあたりで涙がとまらなかった。でも、もう色々言いたいことを言えるのは今しかないと、ズビズビ鼻をすすりながら話し続ける。

「でも、もし私が誰か別に好きな人を作って、そういう関係になったとしたら、先輩は諦めちゃいますよね?」

「うん…たぶん、そうだと思う」

「そんなこと言わないでくださいよ!先輩はもう少し、わがままになったほうがいいです。いつも先輩は『私が幸せならそれでいい』って言うけど、私は、先輩と幸せになりたいんです」

「…ありがとう」

「それでも、結婚は考えられないんですか」

「うん…今は何とも…考えるとしても、5年後、10年後になってしまうかもしれない」

「そんなの、ずるいです」

「…でもね、俺は、いろいろやりたいことがあるし、仕事も一生続ける気は全くない。たぶんすぐやめてしまうと思う。家にはまったくお金を入れられないと思う。たぶん一緒に暮らすとなったら、お金のことでぎくしゃくしてしまうと思う。それに…(両親が高齢だから)介護の問題もある。…だから、○○ちゃんと結婚すると、すごく迷惑をかけてしまうし、責任を取り切れない」

驚いた。この人も一応いろいろと考えてはくれていたんだ。

「まあたしかに、私の方が所得はたぶん上になると思います……。お金でギクシャクするのは嫌ですね。今はギクシャクしないと思っていても、実際に当事者になってみないと分からない」

「うん。○○ちゃんは、外見的にも内面的にも良い子だから、いろんな人に人気があると思う。俺は○○ちゃんといて一緒にいて楽しいし、今後も付き合い続けたいし、別れる理由が本当に一つもないけど……。もし○○ちゃんが結婚を望んでいるなら、その期待に俺は応えられないかもしれない。やっぱり収入の問題が大きい」

「じゃあ。社会人になって、私に先輩を受け入れる覚悟ができたら、私からプロポーズします!!」

「えwwww」

「というのは冗談交じりの、本気ですけど…」

「(笑)、まぁ、俺から養ってとは、とてもじゃないけど言いにくいよね。…たぶんさ、人生にはタイミングってものがあって、付き合い始めた当初は俺もこんな(芸能活動みたいな)ことやろうと思ってなかったから○○ちゃんと結婚したいとか話してたけど、今はその保証ができないんだ。」

「ふむ」

「ハギも一緒でさ。あいつともこういう話題になったんだよ。あいつの彼女は保証がなくてもいい、それでも結婚したいって言ってるらしくて、ハギもじゃあ、って言って結婚も視野に入れて付き合ってるらしいけど……。俺としては、付き合い続けてくれたのに結婚できなかったら本当に申し訳ないし、俺は取り返しがつかなくなる前におわりにしたほうがいいと思ってる。きっと、これからいろんな出会いがある。それなのに、今すべてを決めてしまうのは早計だと思う。」

「うん……」

「俺も、自分が生計を立てられるようになったタイミングで出会った人と結婚したほうがいいと思ってるし、たとえ恋愛的に好きな相手じゃなくても、お金のことでゴタゴタするよりは、お金にも余裕があって、俺の(たとえば)話し好きな部分しか求めないとかいう相手とのほうが、結婚はうまくいくと思う」

「…なるほど」

「まぁ今のは正論であって、正論が全て正しいわけじゃないんだけど」

「確かに、私が経済的な部分を求めないといったら嘘になります。でも、私はそれよりも人間として尊敬できる相手かどうかのほうを重視しているんです。たしかに、これからもっと経済的にも豊かで、尊敬できる人にはたくさん出会うと思います。実際、大学でもそういう人はたくさんいました。でも、私は先輩の尊敬できる部分が一番好きで、これからもずっと一緒にいたいと思ってます」

「…ありがとう」

 

ちょっと記憶があいまいで多少ニュアンスは違うかもしれないけどたしかこんな感じだったと思う。

彼の言うことはごもっとも。予想以上に彼が先のことについて考えてくれていたことに驚いたし、私も少しヒートアップしていたので冷水を浴びせられたような思いがした。

 

ひとまず今はこのまま付き合い続けましょうということになった。今後の収入や出会い次第では変わるかもしれない。

 

でも、本音をぶつけたことで相手の考えを理解できたことが、とても大きな収穫だった。少なくとも私も彼もお互いを好いているし、付き合い続けたいとは考えている。それに、お互い、自分が負担になりたくないという気持ちも一致している。

 

夢とか愛だけじゃどうにもならない歳になってしまったけれど、こうして話をして、理解しあうことができるなら、どんな関係になったとしても……仮に恋人ではなくなってしまったとしても、彼とはうまくやっていけるだろうと思った。

 

ちょっと書いてて疲れた~~~また思いだしたら続きかくね…

 

 

 

 

 

 

今日

起きる。いつもは7時前に起きちゃうけど、今日起きたのは8時。

 

あんまりお腹がすかない。お湯を飲む。すでに父と母は朝食をすませていて、テーブルの上にサラダの残りがチマッと置いてあった。本当は漢方薬をのまなきゃいけないのだけど、いっか、と薬の存在を無視する。まずくもないしおいしくもない薬。なんとなく体に入れたくなかった。

 

洗面所でうがいをする。顔をチェック。むくんでいる。朝はいつもそうだ。父は私の寝起きの顔を見て、あまりのブサイクさにいつもギョッとする。失礼。でも、私も自分の顔みて「うわぁ」と思う。

薄い緑にさくらんぼの柄のヘアバンドを付けて、髪を上げる。アルジェランの洗顔料を無印の泡立てフォームにつけて、ワシャワシャする。ふわふわの泡をつくったら、顔につけて、手で顔をゴシゴシしないようにそーっと泡で顔を洗う。ネロリのにおいに癒される。お風呂から汲んだお湯で泡を流す。サッパリしたら、白潤の化粧水をテキトーにジャバジャバつける。余った分を首とデコルテに塗る。コンタクトをつける。食卓に向かう。

 

食べたくないけど、食べれなくもないな、と考えて、レタスときゅうり、ミニトマトをちまちま皿にのせて、プラムをだす。白湯を準備して、昨日作った鶏むね肉のチャーシューもよそう。いただきます、をする。たべる。

最後に残ったプラムをかじっていると、お腹が冷えたのか、ジクジクと痛む。

皿を片付けて、トイレへ行く。ティッシュを見てギョッとする。赤。あー、やっときたか、と思う。

 

PMSによる気分の落ち込みがひどいので、月のものがくると嬉しい。きてくれると気分があかるくなるのだ。

 

洗濯物を干すのを手伝ったら、ピアノを弾く。

メトネルのOp.40-2の譜読みをする。結構難しくて、10分で飽きる。

午前中はピアノに飽きたら新聞を読んで、それにも飽きたらお湯を沸かして白湯を飲んで、またピアノを弾いて、レポートを書いて、ピアノを弾いてを繰り返した。

 

あっというまに昼。今日はたまたま父の仕事がリモート、母も仕事が休みだったので3人で外へごはんにでも行こうか、となった。

 

お腹すいてないな、と思いながらも、それまで来ていたパジャマを脱いで、上からかぶるだけのワンピースを着る。軽くメイクをする。日焼け止めをバーッと塗って、ファンデーションをサッと塗って、薄すぎてわからないくらいのアイシャドウを塗る。ヘアバンドをつけっぱなしだったことに気づく。とったら前髪に変なクセがついていた。スカーフをカチューシャみたいにしてカバーする。

 

家の近くのイタリアンに向かう。あんまりおしゃれな店ではない。

親と同じパスタを選ぶ。前菜つきだったみたいで、めちゃくちゃ量の多い前菜がきた。ピザ。キッシュ。シーザーサラダ。生ハム。おなかすいてないのになぁ、と思いながら食べる。おいしい。メインのパスタがくる。おいしい。お腹が重い。

 

母に「そんなにお腹がおもくて気持ち悪いならクリーニング屋さんに行ってパパとママのコート受け取ってもらえない?」と言われて快諾する。

 

クリーニング屋さんはすぐ近くで、コートを受け取ったものの、見た目より重くなかった。余裕じゃん、と思いながら帰り道の坂をのぼる。気温が上がってきたのか、ワンピースの中で背中に汗がつたう感覚があった。運動靴じゃなくてパンプスを履いてきたので、足が妙につっぱる。ブラジャーもなんとなく水分を吸っている感じがして気持ち悪い。

 

帰宅。洋服を脱ぐ。汗をふく。適当なTシャツとペロペロのショートパンツを履く。おなかはまだ重かった。水を飲む。

 

ベッドの上でごろごろとスマホを見る。シャンプーの替えがほしくて、価格.COMで調べる。送料がネックだな、と悩む。スマホを投げ出す。目が疲れた。ピアノを弾く。

 

4限は授業。今日は発表があるので、外の音がズームに入らないように窓をしめる。あつい。発表で緊張して余計暑い。

 

終わったころにはまたまた汗をかいていて、一日何回着替えればいいんだろうと思いながらまた別の着古してペラッペラッのTシャツをだす。

 

ピアノを弾く。全然うまく弾けなくて、冒頭の10小節を弾いてやめた。

 

 

 

 

書くのも飽きた

涙のシューカツ爆病み体験記

一年以上続いた就職活動がようやく終わった。来年から(予定通り配属されれば)記者になる。

私は最初、アナウンサーを志望していたので3年の5月から本選考が始まっていた。

そのため、ずっとガチの就活をノンストップで行ってきたことになる。

 

マジ、病んだ。

 

私の就活を簡単に時系列で表すとこうなる。

大学2年3月 アナウンサーを目指すと決める

大学3年4月 アナウンススクールに入会

大学3年5月~ アナウンサー就活スタート スタートが遅かったからか、民放キー局の本選考対策はろくにできずにことごとく落ちる

大学3年7月 アナウンサーの地方局のインターンに参加。周囲との差に悩む

大学3年8月 テレビ局の報道部門のインターン(東京・大阪)に参加。あまりの激務ぶりに驚く。

大学3年10月 アナウンサー試験を受ける傍らで新聞社の記者インターンに参加。記者のほうがアナより楽しい。

大学3年11月 準キー局でアナウンサーの本選考が始まる。ストレスにより5kg増加。

大学3年12月 実はアナウンサーよりも記者のほうが自分のやりたいことに近いと気づく。アナウンススクールをやめ、記者志望に変更。

大学3年1月~ 周囲よりも能力が低いことに悩む。すでにTV局の内定を決めるゼミの同期もいてかなり焦る。

大学3年2月 面接練習をしてもうまく話せず、ストレスmax。ESを書いていてもこれで通るのが疑心暗鬼に。記者がダメだったらどうしよう、とここにきてマスコミしか見ていなかったことを後悔しだす。過食が悪化する。

大学3年3月 記者職の面接を受ける。圧迫面接がトラウマに

大学4年4月 記者職だけでは不安になり、食品業界も見るように。営業に興味はないのに惰性でESをだす。周囲で内定者がチラホラでる。嬉しいけど焦る。

大学4年5月 web面接が中心だが、内定は0。周囲との差に焦る。

大学4年6月 初めて最終面接に進む。そしてそのまま内定。

 

とにかく人と比べて落ち込むことが多い一年だった。

最もつらかったのはストレスによる過食だった。アナウンサー志望なら体型にはとても気を使わなければならないのに、ストレス解消の手段が食べることしかなく、何かストレスがあれば食べ、その分太る。そしてその体に絶望する。再びストレス解消に過食する………の悪循環。

 

クリスマスに恋人とホテルでお風呂に入ったときに、「なんかお腹…太った?びっくりした」と言われたのがさらにショックで泣きそうになった。(恋人は悪くないです、たぶん私でもビックリして同じこと言っちゃう)

 

それでもストレスの解消に食べてしまう。頭では「食べたら余計悪化する」とわかっているのに、気づいたら食べている。

 

アナウンサーのESに出す写真も、スクールの先生に小顔の加工をされ、さらに自分でもフォトショで無駄な肉の部分を落とす加工をしたりしていた。加工によってスラリとした自分の写真を見るたびにむなしくなった。

 

食べ過ぎて気持ち悪くなって、泣きながらトイレでえずいているときが本当に情けなくてつらかった。

 

12月。

記者志望に変更したのは、やっぱり現場に行って自分の感じたことを伝えたいと思ったからだった。文章を書くのが昔から好きだった、ということもある。

アナウンサー試験中は「君は落ち着きすぎているね。総合職ならそれでいいけどアナウンサーでそれは…」と言われることも多く、無理してテンションを上げながら話していた。

でも、文章なら、素の自分でいられた。

 

1月。

再び記者インターンに参加する。周囲の参加している人たちはかなりレベルの高い人たちだった。自己紹介でも院出身の人とか、留学から帰ってきました、という人たちばかり。私はと言えば、(ちゃんと考えればもっとマシなものがあっただろうに)「バイト4つしてます」くらいしかインパクトのあるネタがなく、顔から火が噴き出そうな気持ちだった。

ただ、取材体験の文章だけは褒められたのが嬉しかった(もちろんプロから見たらまだまだ粗削りで未熟な文章だったと思うけど)。やっぱり人の話を聞いて、それを客観的に起こしたり、五感で感じたことを文字に起こすことは好きだなぁと思った。

 

このころ、たしか恋人と付き合って2年目のお祝いをした 。私はものすごく酔っぱらっていたこともあって「シューカツつらい」だとか「なんでそっちはシューカツしないんですか」とか結構恋人に当たってしまった(サイテ~)。少なくともお祝いの席で言うことじゃない。

それでも失礼な私の態度に怒ったりすることなく、黙って一通り私が話し終わるまで聞いて、彼なりに励ましてくれた。マジで感謝しかない。

 

つらかったことばかり思い出すけれど、私の周りの人は本当に良い人たちばかりで、友人や恋人、家族の言葉に救われたことも少なくなかった。

 

記者職の最初の面接は3年の3月だった。

大手のところで、二次面接まで進んだが、その二次面接というのが、沈黙による圧迫面接だった。面接官は3人いた。

何を話しても、何も反応がない。話し終わったあとも、次の質問が来ず、1分間まるまるシーンとした状態が続く。背中に冷や汗が流れる。そして、やっと面接官が口を開いたかと思えば、「君、もういいよ」の一言。

 

それまで私はその会社に入りたくて、ほかの会社はそっちのけで2週間は対策に費やしていた。なのに、実際の面接時間はたったの5分で、しかもほとんどが静寂。

 

私のやってることって無駄だったのかな、

そんなに変なこと言ったかな、

私、記者も向いてないのかな…。

このままどこにも決まらずにフリーターになったら…。

と、どんどんマイナス思考になっていく。

 

それ以来面接について考えるたびにあの辛い沈黙を思い出すようになって、3月も過食がひどかった。

 

コロナの影響で企業の採用活動がストップになるとニュースで報道されたときは、むしろ「いったん休める」という嬉しさのほうが強かった。

 

4月。

記者職だけでは怖いなと思い、以前から興味のあった食品業界も見始めた。かたっぱしからESを出した。このころはもうどこでもいいから内定をくれ、という心境だった。

 

5月。

web面接が始まる。周囲の友人にはちらほら内定をもらっている人が増え始めた。「そりゃあの子とだったら私も働きたいし、内定もらえるのも頷ける」と思い、心の底からよかったなぁ、と思う一方、「自分は誰からも求められないのでは」、という暗い気持ちもあった。

 

このとき手持ちとしてあったのは、大手の新聞社(A社)と、かなり専門的だが興味のある分野を扱う新聞社(B社)の計2社。加えて、食品業界数社が手持ちとしてあった。

しかし、食品業界はことごとく落ち、「ここならいけそうだな」と思うところは1社だけ。

さらに、A社(というかすべての大手新聞社)には「夜討ち朝駆け」というものがあり、入社したとしても最初の数年は朝から警察官の自宅に出向いて一緒に出勤し、帰りも警察官が仕事を終えて自宅に帰るまで、警察署前で待機し、同行しなければならない(ネタを得るため)。また、何か緊急の事件が入れば夜中であろうと取材に行く必要がある……など、まったくプライベートの時間が確保できない過酷な仕事内容におじけづく。

 

元々そんなことは覚悟した上で受けていたつもりだったが、あくまでつもりに過ぎなかった。二次選考まで進んだところで、「本当にそれでいいのか?」と考えはじめたら止まらなくなり、A社の選考を辞退した。

 

6月。

このときの手持ちはB社と、食品業界2社。あまりにも少ない。

が、このB社がなぜかトントン拍子で最終選考まで進む。

ここは夜討ち朝駆けもなく、最初の5年間は東京で取材ができ、若いうちから仕事もいろいろ任せてもらえる。自分の興味のある分野について深く取材できる点も魅力的だった。

地方転勤はあるが、私はむしろ地方に行きたいと思う派だったのでそれは全く問題なかった。

それに、人事の方も面接官の方々も穏やかで落ち着いている人が多くて魅力的だった。

「ここなら、心の底から働きたいと思えるな」と、最終選考までの1週間、内定をもらえるように必死に企業研究をした。

 

結果、本番の面接は少々圧迫気味ではあったものの、その日のうちに無事内定をいただくことが出来た。

1年間ずっと「残念ながら貴殿の思いには応えることが出来ず…」というお祈りメールばかりもらっていたが、B社の人事の方に「○○さんと一緒に働けることになってこちらとしても本当に嬉しいです」と言われたときは泣きそうになった。

 

 

終わったからこそ言えることだが、私はずっと無理をしていた。

アナウンサーを目指すにしても、話すこと・容姿のキープにおいてとても無理をしていたし、大手の記者職も仕事内容に不安があるのに「記者を目指すなら大手でしょ」と強がって受けていた。

食品業界に関しても、営業になんて全く興味がないのに「たいていどこも営業のほうが採用される人数が多いから」と営業志望で大手の食品会社にのみESを提出していた。

 

別にネームバリューがあったとしても、自分が素の状態で働けないところでは会社とのマッチング率が低いのだから、選考も進むはずがない。

一方で、自分が心の底から「ここなら働ける」と思うところは、相手も「こいつは仲間だな」と思ってくれるのか、トントン拍子に選考が進んだ。

 

今、過去の過食に苦しんでいた自分に声をかけてあげられるなら「無理しないで、自分のしたいこと・できることに目を向けて探せばいいんだよ。大手じゃなくてもいいんだよ。」と言ってあげたい。

 

難関大学出身だから、大手で誰もがうらやむようなところに行かなければ、なんて、本当にいらない考えだった。

 

それでもやっぱり大手じゃないと、と考えてしまうし、ほかの人からの目線(特に両親の評価)はとても気になる。

でも、自分の行きたいと思える会社に進めると決まったとたん、そんなプライドはどうでもよくなった。

 

私は何をあんなに悩んでいたんだろう、と思わなくもない。

でも、あのとき苦しんだ自分を否定したくないし、きれいなものに昇華したくもない。

だから、つらかったこともここにちゃんと記録しておこう、と思い、これを書いた。

 

 

 

 

6/12 加筆・修正

追記・意外と多くの人に読まれていたようなので誤解のないように書いておくと、私は大手を否定しているわけではありません。私が言いたかったのは、自分の肌に合ったところに進めばいいということであって、仮に大手の会社と自分の相性が合うのであれば万々歳だと思います(やっぱり大手は素晴らしい会社が多いので)。でもマジでストレスはよくない。健康的なシューカツが一番だと身をもって実感しました……。

 

 

 

 

 

 

アナウンサーになりたい、と小学生のときから思い続けている。

 

きっかけはなんだったんだろう。

お母さんに、「ねえ、私が大人になったら何になってほしい?」と聞いたとき、「うーん、薬剤師かな!」と言われたのは覚えている。次に聞いたときは「助産師さんとかどう?」と言われたのも覚えている。なんでどれも医療系なのだろう・・・。

 

小学五年生のとき、将来の夢について体育館で発表させられた。みんな劇とか歌とかにして夢を表現していたが、私は報道番組スタイルで紹介したのを覚えている。当時私はNHK以外基本的に見なかった(アニメは別)のでズームインやめざましテレビなども知らなかったのだが、「最後ズームイン!!ってやりなよ!」と友達に勧められてそれを付け足したことも覚えている。

 

なんでアナウンサー??

 

今でも自問するのだけど、よくわからない。

 

なんとなく(ほんとに理由もなく)、ニュースを見ながらお母さんに、「アナウンサーはどう?」と聞いて「いいんじゃない~?」と言われたのがきっかけ・・・・だったような記憶がある。

 

つまり、「なんとなく」が理由・・・・・・・。

 

 

・・・・・・・。

 

 

それなのに私は20歳になった今もアナウンサーに漠然としたあこがれを抱き続けている。「憧れ」という点にキーがあるのではないか?

 

アナウンサーには自分にはないものがたくさん含まれている気がする。

 

たとえば、体力。話を円滑に進ませる会話力。すぐに適切な切り返しができる頭の回転の速さ。自信。プレッシャーに耐えうる冷静さ。トラブルが起きたときにも対応できる柔軟性。

 

私は結構ぼーっとして1つのことについて熟考してしまうタイプで、どう考えてもアナウンサーのような素早い切り返しには向いていないように思う。

けど、憧れはどうしても消えない。

 

もう一つ、困ることがある。

もうアナウンサーなんて目指さないぞ!絶対私には向いてない!と思うときに限ってまたこの憧れを再燃させてしまうような情報が入ってきてしまう。

たとえば、中学の演奏会のアナウンス。テレビ局でのバイト。収録の案内・・・・。

 

こういう場でアナウンサーみたいなこと、もしくは本当のアナウンサーを見るとどんどんなりたい欲が増す。声を使うことは楽しい。自分の声は自分ではよくわからないけど褒められることがあって、それをつい活かしたくなってしまう。

 

けど、どう考えても私はアナウンサー向きの性格ではなくて、絶対なれない、なっても苦労する・・・・といつもいつも考えてしまう。ジレンマ。

 

 

大学二年生になって、就活や卒業後についてよく考えることが増えた。

アナウンサーを本当に目指すのか目指さないのか。

もしアナウンサーを本気で目指すなら、二年時にはアナウンサースクールに通って発声などを学ぶ必要がある。

つまり、今がラストチャンス。ラストチャンスという言葉に弱い。なんでもかんでもやれることはやりたくなってしまう。だから、ひとまず体験だけ行ってみて、良かったら続けるかもしれない。一か月の受講料は2万。バイト代でだすことになるだろうから、今まで以上に自分の時間は減ってしまうだろう。でも。あきらめてモヤモヤするよりずっといい。

 

ひさびさに、ちょっと、アクションしてみようと思う。

考えているだけで動かなければ何も変わらないもんね。

身体を超えてゆけ

私の周りの友人は、割と貞操観念に対してゆるい人が多い。若いうちは遊んどけ、という考え方の女友達。私自身も社会の暗黙のルールで自分の行動が縛られるのは好きではないのでその考え方に賛同していた。

 

だから、彼氏がいないときもむしろ「遊べるならいいじゃん、楽じゃん」というスタンスで、恋人がいる人に何かしらの僻みを抱くことはなかった。

 

最近恋人ができた。

恋人がもし私のせいで縛られるなら可哀想だなぁと思い、なんの気無しに「別に風俗に行ったって構わないですよ」と言ったらひどく驚かれた。友人にそのエピソードを話したら恋人と同じ反応をされて、今度はこちらが驚いた。

 

私は男性ウケするような巨乳でもないし、もしそれで彼の性的な欲求に応えられないなら、彼がお金を払って然るべきところでその欲求を発散すべきだと考えていた。とても合理的な考え方だと思うのに、何がおかしいのだろう。

 

彼からそれじゃあ、と「じゃあ、キスは?」と聞かれたときは何だか嫌だと思った。嫌です、と答えたらやっぱりおかしいと言われた。

 

なんで私、彼が他の人とキスをするのは嫌なんだろう。

下半身は良いけど上半身はダメということなのか?

男性=性器そのもので、どの男の人も頭の中は結局ヤリたい、と結びついていると思っている。それは、前の恋人だったり、読んだ本の影響から作られた思想。

だから、下半身については一種の諦めのようなものがあって、本能でどうしようもない部分なら無理に制限はしないし、出来ない、という考えに至ったのだと思う。

 

今の恋人と付き合っていて一番わからないのはそこだ。

「セックスって、挿入だけじゃないじゃん。イチャイチャもセックスでしょ?俺はそっちが好きだし」

と言われたときには天地がひっくり返るような思いだった。この人男なのか?と。いや、男だけど。ちょっと泣きそうになった。

当時、挿入がうまくできなかったから気を遣って発された言葉だったのかもしれないけど、それでもやっぱり、嬉しかった。

 

少し話が逸れるが、この間サークルの合宿があった。夜はコンパがあり、酒に酔いやすい私と同期で同じく恋人がいる私の男友達はあっけなく酔った。

お互い恋人がいるし限度をわきまえた上で戯れていた…はたからみたらイチャイチャしてるように見えたのかもしれないけど、私たちにとっては動物のじゃれあいのようなことをしていた。あとで写真を見返してこれはマズイな、と思い恋人に謝った。そのときは特に咎められることもなかった。けど、後になってあれは強がりだったのではないかと思う。

 

昨日、彼のお家に泊まって夜キスをし終わったあとに、「今だけは俺に独占させて」と言われた。それを聞いた瞬間なんだか胸がキューっとなった。あぁ、やっぱり強がりだったんじゃないか。と。そのあとも「○○(私)が死んだらどうしたらいいのかわかんない」と言われたり、映画の「この世界の片隅で」をみ終わった後に「あの旦那さんの気持ちは分かるな、お嫁さんを一人で独占はできないっていう諦めみたいな気持ち…」と話していて、もうひどくいじらしく感じてしまった。

 

今までなら執着が怖くて、付き合っていてもある意味での自由さを理想としていたのに、彼を傷つけたくないという気持ちの方が強くなっている。彼を不安にさせるくらいなら自由なんていらない、と。

 

恋人関係は結婚とは違って何の保証もないから、ないからこそ、お互いがお互いに誠実であること以外に信頼を築く術がないのかもしれない。恋人との関係性には、さまざまな形があると思うけど、何よりお互いを必要以上に不安にさせないのが今唯一すべきことなんじゃないかなと思う。恋人って、一緒にいて楽しいから居るものだ。お互いふりまわされるのは嫌に決まっている。

無い

ネットサーフィンが好きだ。

 

調べたらなんでもでてくるし、関連リンクを踏んで行けば行くほど同じ事象に対して違う事柄が出てきたり、一方で言っていることの共通項もでてくるから割と正確な情報が得られると思う。

 

けど、恋愛とか、将来とか、人の経験に左右されるものって共通項が少なくて、自分に当てはまる例も皆無に近くて、調べ始めると三時間くらい費やしてしまっていることがある。

 

今日、久々に家でダラダラとした。朝のバイトから夜のバイトまで時間があったからその間ネットサーフィンと料理しかしなかった。

 

そのとき昨日のことをふと思い出した。

 

コンビニで友人たちと女性誌をたまたま広げていて、「女性の約六割が可愛いより女っぽいと言われたい!」とデカデカと印刷されていた。

それを見た友人(男女)が「いや、でも男からさ、女っぽいって言われても何!?ってならん?最低や」「え!?そうなん!?」「ったりまえでしょ、あくまで女同士の話とちゃうん?こんなん鵜呑みにする男もいると思ったら怖いわ〜」

 

ネットの情報もこれに限りなく近い気がする。情報を見ると考えられている層に合わせて書いていることも異なる。だけど、雑誌にせよ、特にネットは誰しもの目に触れる可能性がある。だから信用ならないなと思う。

 

どうして欲しい情報を手にするために三時間もスマホとにらめっこして視力を低下させているんだろう。本当にいってほしい情報なんて自分の中にあるのではないか。スマホと対峙していると一時的な知識欲と承認欲求だけを満たしているような気分になってあとで悲しくなる。

 

ネットサーフィンなんてものに意味はない。けどしてしまう。もうスマホなんて捨ててしまおうか。ガラケーの時代が一番良かった。メールをじっくり時間をかけて打つ。電話をする。電車の時間とかよくわからないし終電逃したら怖いから少し早めに解散する。インスタとかツイッターとか、他の人の動向をいちいちチェックしなくて済む。アナログが良かった。ラインの返信を気にしなくて良い世界。もう、ラインじゃなくて電話にしようよ。手紙にしようよ。ネットより、自分の経験と読書で得た知識を基盤にして行動しようよ。

 

 

そう言って実行に移そうとしない自分がいて、そんな自分がひどくもどかしい。

 

思考と言葉

昨日、丸山さんにお会いした。

当初のぼんやりとした予定だとその内容を簡潔にあとでこちらにまとめようと思っていたのだけど、とんだ誤算だった。というか傲慢。本を読んだ時にすでに感じていたことだけど、一つの話題が出てからものすごく様々な方向へと思考がとんだ上で元の話に戻る。戻った時、私たちが元の話がさらにいろいろな角度から見えるようになる。そんな人だった。まさに1つの番組のような。だから、サラッとまとめて昨夜の話をすることはすごく難しい。書評で「夢遊病のよう」と書かれたらしいけれど、たしかに納得できなくもないな・・・と思う。でも、夢みたいに支離滅裂なわけではない。あくまで丸山さん本人の思考回路を言語化されたものを少し覗かせていただいている、そんな気分になった。初めての感覚だった。

 

言語化、についての話をした。

 

(以下、会話の内容が「」で出てくるけれど、多少ニュアンスの違いであったり私が曲解してしまっている部分があるかもしれない。)

 

萩さんが「今の世の中って、黙っていると何も考えてない人のように思われるじゃないですか、『あいつ何も考えてない』って。そういうのすごい昔から嫌で、そんなわけないじゃん、考えてるにきまってるじゃん。って思っていたんです。でもやっぱり言語化できないとそう思われてしまうのは事実で、今日丸山さんからよどみなく言葉が出てくるのを聞いてすごいと思ったんです。」たしかこのような発言だったと思う。

 

それに対して丸山さんは「もしかしたらそういうことが今世の中で圧力になっているのかもしれない」というお話をされた。「実は、爆笑問題の太田さんは学生時代いじめられていて友人が田中さんしかいらっしゃらなかったんですよ。打ち合わせの時も、きっといろいろ考えているけれど言葉にしない、本番の時のために言葉を取っておいているというより、言語化できないという感じなんです。」これを聞いたとき、なぜかわからないけれど私の中で何か安心感のようなものが広がった。「私もどちらかというとそういうタイプの人間で大学時代や、局に入った後もいろいろと考えてはいるんですけど黙っていたので『ぼーっとしたやつ』とか逆に『考えすぎ』だとよく言われていたんです。どちらにせよ使えないやつだと。たしかにわかりやすい人や話の方が好まれる。今世の中すべてそうですよね。けれど、言葉にできない思いのほうが確実に熱い(?)重いはずなんです。言葉になったものなんてスープの上澄みのようなもので。だから、言葉にできない思いのほうを大切にしたほうが良い、そういう時代に入ってきていると思うんです」

 

前回?の記事で書いたかもしれないけど私は自分の考えを言語化できないときに涙が出る。だからこの話はすごく刺さった。言語化できないと悔しくて涙がでる。そこまではわかっていた。けれど、なぜ悔しいのか?ということまで考えが至っていなかった。世間の圧力。言語化できないやつは何も考えていないように思われる。痛いほど思い当たることがあった。大学に入ってから、特にそういうことに敏感になった。苦しかった。部室にいても周りはみんな言語化が得意なタイプに思えて、私は萩さんなんて特にそれが得意なんだと思っていた。(本人は言語化が苦手だ、と言っていたけれど。)だから、私ももっと話が上手にできたらなあ、と常々思っていたし、けれど何を話したらいいのかそもそも思考自体がまとまっていなくて、珍しくまとまっていてせっかく口を開こうとしても、「これを話したら場をシラけさせてしまうのではないか」とか「これは苦笑いされて終わるな」とか「こんなこと言ってもあの人のほうが面白いし」とかモヤモヤして口を閉ざしてしまう。そうしていくと、劣等感が積み重なっていって話すことが怖くなっていく。

プライドが高いからなのか?と悩んだこともあった。そんな自分が嫌で嫌で、素直に自分の考えを、周りなんて気にせずにいえる友人がとてもうらやましかった。

 

けど、そういう圧力が世間にあるという考え方はしたことがなくて、というかこれで苦しんでいるのはまたもや傲慢なことに私だけなのではないかと思っていて、だから、救われた気分になった。なんなんだろうね。だからコミュ障だって言われる人ほどツイッタラーだったりするのかな。(もちろん例外はたくさんあるけど)

言語化できない思いはどうしたらいいのだろう。ひとまず自分の中や他人の中にあるその存在を受け入れること。表面化したものだけをすべてだと思わないこと。これが大切なのではないかな。そのうえで、相手に伝えられるように自分の中で表現の幅を増やしていく。あぁ、勉強したいな。

 

勉強の話もした。本の中にもあったけれど、大学時代丸山さんは自分の軸足となるようなものがほしくてすごく勉強されたらしい。哲学書であったり、教授の話であったり。当時哲学書を読むのがブームだったらしいことに対して私は驚いた。今は読書しない人すらいるのに。話がそれた。丸山さんはブームに乗っかったわけではなく、勉強をしていたらしい。ちょっと、いや、かなりわかる。特にメディアのことについて本を読むたびに既存の学問分野から自分の思考の基盤となるような、いうなればコンパスになるようなものを築きあげたくなる。ツイッターをやっているときも。あれは見続けていると馬鹿になるような気がしてならない。スワイプすると同時に前見た情報も頭から抜けていくような・・・・頭の入り口と出口に穴がぱっくり開いて貫通してしまったような気分。だから、そういうのではなくてアナログ媒体でうんうんうなりながら自分の頭にしみついていく知識が欲しい。流されていくのではなく、どっしりと構えていられる大人になりたい。これは高校の時からの目標でもある。

 

大人の方に大学に入ってからの勉強を聞く機会はあまりなくて、丸山さんが東大の駒場キャンパスの近くに家を構えて慶應と東大を行ったり来たりしていたという話を聞いた時にはかなり衝撃を受けた。「単位を取る授業より冷やかすような気で見に行く授業のほうがよっぽど身に入る」。まさにその通りだと思う。私も行ってみようかな。面白いのは、私が一昨日の晩に近代思想史の石川先生の話をしたら丸山さんが潜りに行こうかな、といったこと。なんだか昔の丸山さんもきっとこんな感じだったのかな、と思った。人が良いといったものに対するアンテナの張り具合がすごい。「ふーん」で終わらせないのがすごい。私たちとわざわざ時間をとってくださったのもこういう姿勢が根本にあるからではないかと思う。見習いたい。

 

教授(今回は他大の講師だけど・・・)とごはんなんて言うと今はみんな驚くけれど、昔は普通のことだったらしい。教授から生徒に飲みに行こうと誘うことも珍しくなかったとか。今はいろいろと制限があってそういう機会も減ってしまったらしい。けど、丸山さん曰く教授はそうした状況に悲しんでいるらしくこちらから誘ったらうれしいのではないかということ。(あれ、これは萩さんの言っていたことかもしれない)近代思想史の先生ともこんな風にお話しできたら面白そうだなぁとぼんやり考える。

 

昔は・・・って話から、昔の本質は今でも変わらないという話へ。

小さい頃の性格は今でも根っこのところで一緒だという話をした。夏休みの宿題をどのように進めるかが仕事の進め方に表れていたり。私はちょびちょびやりつつ最後のほうでガッと進めるタイプだった。そういうタイプの人にガミガミ言ってもやらないのは大人でも変わらないらしい。人によって背中の押し方も変えるって家庭教師に生かせそうなスキルだな。あんまりガミガミ言わないようにしよう・・・。

私自身も最初からコツコツやるタイプではない(けど周りより始めるのは若干早い)っていうのを自覚してからメリハリをつけるようになった気がする。やる気がでないときはパーッと遊んじまえ、興味のあることをやれ、って。

環境に合うところに入るのが理想だよなぁ、職場なりなんなり。

 

話がそれた。

 

昔の話の1つに、さっきの大学のキャンパスに入り浸っていたころの話。

以前はネット上にシラバスなんてものはなくて、現地の掲示板で何の授業があるか確認しなくてはいけなかったらしい。「わざわざそんな大変なことしながらWスクール(?)的なことしてたんだ!」って思ったけど本人曰く「その方がより燃えた」らしい。SNSで見れてしまうから安易なもののように見えるっていう点を考えるとSNSが使えない昔のありがたさのようなものがあったらしい。

そこからTwitterの話になって、気軽な連絡手段としてなぜかアカウントを交換。アカウントが複数(私の場合は6つ。本名・サークル用・こけこっこー・趣味×2・フレキャン用)あることを伝えたら丸山さんがすごく驚いていた。感覚がマヒしてこれが普通、アカウントごとに発言内容を変えることが普通・・・だと思っていたけれど普通に考えて普通じゃない、おかしいことだよなぁ、生きづらいよなぁ、という話に。

いや、実際問題めんどくさい。特に実名アカウントとか嘘はついてないけどすごくつぶやきにくいし。人って変わるものだけど、実名アカウントは高校までの私しか知らない人が多いからなかなかつぶやけない。もちろん高校から特にキャラが変わってない人はそのまま実名アカウントで良いけど、大学になって私はかなりオープンになったと思う。でも、それは無理してキャラ変してるわけではなくて高校の時の私も今の私も本当の私で嘘なんてついていない。根本にあるナイーブさとか妙なテンションの高さとかは変わらない。それなのにどうしてツイート内容にこんなに差があるんだろう?どこかで、「こいつ大学に入ってから変わったよな、昔はこんなんじゃなかったのに」といわれることに恐怖を感じているのだと思う。言語化できる・できないの話をしたときもそうだけど、私って、いや私に限らず、人から影響を受けることって当然だしそれによって内面だって思想だって少しずつ変わっていくのは当たり前。それによって発露されてくる言葉が変わるのも当たり前。だけど、一度会った他人に対してどうしてもステレオタイプをつけたがる。この人はこういう人だ、というステレオタイプ。それなのに、そこからあまりにもズレたものがその人から現れると少し引いてしまう。あれ、どう接したらいいんだ?私の中の予想と違うぞ、と。人の変化を受け付けない部分・・・というかそういう風潮が世間に流れているのではないか。私にはそれがすごく窮屈に感じる。あなたの中の私のイメージなんて壊れてしまえ、って。私のイメージを勝手に決めつけるな、そのイメージが余計私の行動を制限させるんだ。って。

でもそんなことしたら周りから人が消えてってしまうのではないか。幻滅されるのではないか・・・・。自分の中に臆病な部分とそれを許せない部分が同居している。

結局、今の自分でも許してくれそうな人のためだけのアカウントを作ってその中で自分のしたい表現を発露、自己表現をする、という問題の根本的な解決にはなっていない措置をとってしまう。

 

そこまでしてなんでSNSやるの?やめちゃいなよ。

 

そんな考えに至ってたまに一切SNSを開かなくなることもある。けど、やっぱりほかの人の境遇とかは気になって見てしまい、そのうち自己表現、自己主張をしたくなってしまい・・・・・のループ。

 

何が私たちを動かしているんだろうな。

 

 

だいぶ話がそれた。

 

 

丸山さんとお話したのはたったの3時間程度だったけど、やっぱり世代が違うから感覚も私たち若い世代とはズレていてとても面白かった。話をしている最中ももちろん楽しかったけど、帰ってきてじっくり考えることでより面白かったなぁ、と思えた。

次お会いできるのは6月だろうか。それまでにもう少し日本語をうまく使えるようになりたいなぁ、と思う。今回書き漏らしていたことを思い出したらまた書くかもしれない。