serious bunburying

隕石で手をあたためていましたがこぼれてしまうこれはなんなの

山梨旅行 一日目

たまにアクセス解析を見るとこんな小さな、かつ閉鎖的なブログにたどり着いてくれている人がいることに驚く。どうも、ありがとうございます。

 

先週の木曜から3泊4日で先輩の実家である白州へ2人で行ってきた。

実家と言っても、もう先輩の家族はみんな東京へでてきてしまっているので今は空き家だ。いや、別荘といったほうがいいのか。

 

1日目、八王子駅で待ち合わせをして中央線の鈍行に乗り、終点の小淵沢を目指す。小淵沢が最寄りだ。

途中で先輩の出身中高や友達の家、あの自販機で父がよく飲み物買ってた、など思い出話を聞くことができた。今まで話には聞いていたけれど、それがどんどん画になっていくのが、うれしかった。

小淵沢へ行く途中の穴山駅でいったん降りると、無人駅で本当に田舎にきた~!という実感がわいた。ICカードが利用できるようになったのもここ5年程の出来事らしい。町をぶらぶらするも、美容室以外は住宅だらけ。どんな田舎にも美容室(理容室?)だけはある気がする。

私の家のある横浜から約4時間かけて、ようやく目的地である小淵沢駅に着く。ここでアクシデントが発生した。

レンタカーを借りる予定が、予約でいっぱいで借りれないというのだ。

田舎で車がないのは恐ろしい。本当にどこにも行けない。後述するが一番近いスーパーへ片道徒歩1時間かかる。

先輩が「うわ~まじか~ほんとごめん・・・・予約しとけばよかった~・・・・」と萎え始めたので一端駅の近くでおひるごはんにしましょう!と言い、そば屋に入った。

蕎麦屋は人も少なくて一人だけ酒飲みのおじさんがいた。先輩は「うお!これ珍しい!」とカレーそばを注文。私は卵丼にした。そばはとても太くてカレーも本格的だった。卵丼はつやつやしていて、お吸い物もおいしかった。

ちょっと機嫌のよくなった私たちはバスを探すとサントリー工場行きの無料シャトルバスがでていることを発見。サントリー工場から先輩の実家までは徒歩10分。非常にありがたい・・・。ここからこのシャトルバスにはとてもお世話になる。

シャトルバスに乗っていると田んぼが見えてきた。収穫間近なのか本当に田んぼが黄金色で、すごいすごい!!!と大興奮していた。バスに乗っている客は私たちだけだったので思う存分はしゃいだ。先輩にとっては普通のことらしい。

あっという間にサントリー工場に到着。家へ向かって歩き始めると一面森、森、森。

家はほとんどなく、あっても別荘もしくは旅館。

森の奥へと進んでいくと大きいおうちが見えた。途中でクモの巣に引っ掛かりつつ、到着。車の周りが草だらけでなんだかジブリのおうちみたいだった。お庭のコケがふかふかで感動冷めやらぬままお家に入ると、すべてが木でできていて、部屋も10コ以上あった気がする。分厚い木でできた大きいテーブルとソファが印象的だった。玄関のすぐ近くにピアノがあって、ここで練習していたんだな、と思うと先輩の過去に触れられたようでうれしかった。

このお家好きです、というと先輩もニコニコしてくれた。可愛い。

 

シャワーを浴びてさっぱりしたところで川遊びへ出かけた。

川へは歩いて15分。途中で県外からもお客さんが来るような有名なコーヒーショップがあり、そこで食べたピーカンナッツチョコがびっくりするくらいおいしかった。コーヒー好きな父に地元限定のコーヒーを買った。先輩は母親にカフェオレを買っていた。

香ばしい匂いの漂うコーヒーショップをあとにして私たちは川へと向かった。その途中で何やらでかでかとした看板を発見し「「何あれ!」」とみてみると”無人直売所”と書いてある。その下には「ブルーベリー」と書かれていて先輩が「ブルーベリー!!!」と興奮していた。(かわいい)

無人直売所は私の父の実家近くでも見たことがあるがなにやら大きい直売所のようだったのでぶらりと中へ入ると民家らしきものが2つあって、その前にある棚の上には野菜が3種類、籠の中には玉ねぎがたくさん入った状態で置かれていた。

「ブルーベリー・・・・ない・・・・」と先輩がガックリしていると中から人懐っこそうな顔をしたおばちゃんが出てきた。無人じゃなかったのか。

「あらいらっしゃい」とおばちゃんが声をかけると即座に先輩が「ブルーベリーってないんですか」と聞いた。ブルーベリーだけ中にあるらしくおばちゃんがとりに行く。他にも何か必要なものあったっけ、と少し考えて「玉ねぎも必要かもしれませんね」と先輩に言い、私たちは玉ねぎを2つ買った。ブルーベリーは明日の朝に新鮮なものが入荷するらしく、明日もまた来ると約束する。するとおばちゃんが「あ!!!ちょっと待って!」と言って民家のドアの前を横切り奥から何か大きいものを運んできた。

 

でかい。でかすぎる。

「これもらっていかない?かぼちゃなんだけど売り物にできなくて・・・」と渡されたものはラグビーボールのような形をしたかぼちゃ。色はピスタチオのような色で、大きさは人間の赤ちゃんほどの大きさだ。これが重い。先輩は「もらっていいんすか!?」と目を輝かせていたけど私は「これを旅行期間(3日)でどうやって消費しようか」とそればかり考えていた。無料でいただけるのはありがたいからもちろんもらうが・・・・。

 

先輩は見てこれ、鉄砲みたいにできる、と言いながら肩の上にかぼちゃを抱えたりダンベルに見立てて遊んでいる。呑気だなぁ(かわいい)(カメラ準備)

 

そうしているとあっという間に川へ到着。夕方だったが川はさほど冷たくなく、透明なキレイな川だった。砂浜のような足ざわりの部分がとても気持ちよくて、水をかけられてもすぐ乾くから思う存分水をかけあった。衝撃だったのは「見て~!砂金!」と言いながら先輩がすくった川の土にキラキラしたものがたくさんはいっていたこと。まさか砂金を見れるとは。「とったりしないんですか」と聞いたが法律違反らしい。残念。

 

川で遊び、かぼちゃを運びながらクタクタになって帰宅。いそいそと料理をつくる。たしかこの日は夏野菜丼の温玉のせだった。トマト、ズッキーニ、ナス、豚肉をごろごろ乗せるだけの簡単ごはん。フライパンがなかったのでへんてこりんな鍋のようなもので代用して炒めた。料理中、先輩はコンサートの準備でピアノを練習していた。出来上がると、先輩がおいしいおいしいと言いながら食べてくれたのが嬉しかった。

 

食べ終わると少しぐったりしている私に気づいたのか食器洗いはすべてやってくれてとても助かった。ひと段落してからセブンでかったチャーシューとその他おつまみを広げてワインを飲む。ぺろぺろになった私たちはそのままベッドになだれ込んだ。

もう寝そう、とうとうとしている私に「もう寝ていいよ」と言って部屋の電気を消すと先輩はまたピアノを練習しに行った。やっぱり上手だな、とだんだんと遠ざかるピアノの音を聞きながら一日目は眠りについた。

 

 

綺麗事、大事なこと

 

※今年の四月の下書きだったものです。もう父は転職して元気に働いています。

 

 

父が失業した。

 

前々から薄々わかってはいた。けど、実際に会社が破産したと聞いた時はびっくりした。実感が湧かず、ポジティブな言動で家族の雰囲気を明るくしてかなきゃ!っていうくらいだった。父もなんだか憑き物が落ちたような顔をしているし、母も頑張ろうって言ってるし、幸いなことに借金はないみたいだから、生活費のやりくりが前より大変になるけど、多分、大きな変化はないだろう。私はわりと楽天家なので、この重大発表当日はぼんやりとしていた。

 

けど、履修を組んでみて、アルバイトに入れる時間があまり無いことが分かった。そして、万一自分にお金がなくなったとき、それまでは家族にお金を借りることができたけどもはやそんな余裕がうちには無いことも分かった。

母いわく、生活費は失業保険で出るお金を含めても今までの半分ほどしか無いらしい。父が早く就職してくれれば問題はないけれど、もう父も齢50を越えている。あまり楽観視はできないと思っている。

 

NHKで春から働こうと考えていたし、もう契約も済ませた。けど、NHKが木曜の夜勤なので今まで入れていた金曜の早朝バイトには入れなくなる。講談社のバイトも来年の履修的に入ることができない。となると、五月からの収入は月5万以下。いままで七万は確実に稼いでいたのでかなり不安だ。

NHKをやめて、慶應生の特権を生かした家庭教師のバイトを増やした方がより多くの収入は見込めるんじゃないか?とか、私のバイト代が場合によっては生活費に充てられる可能性も捨てられないのではないか?とか、色々考えてしまった。

 

周りの慶應生はそれなりに豊かな生活を送っている人が多いだけに、なんで私はこんな働かなくちゃいけないんだろう。前にも、なんでそんなにバイトするの?と知り合いに不思議そうに聞かれた。家族に頼れないから、自分で長期休みの交際費を今のうちに稼いでるんだよ、なんて言えるわけがない。バイト好きなんだよね、と答えたけど、やっぱり胸の中にはちょっと惨めで、どす黒い、じめっとした気持ちが残った。

 

父が失業したことで今までなんとかやっていけていたのが本格的に厳しくなり、いざというときに頼れる後ろ盾がない、という事実は思ったよりも重かった。最初はピンピンしていた私も、過ごしているふとした瞬間に、これ、来年にはどうなっているんだろう…と考えてしまう。どうやっても、お金がどこかで関わっている。稼がなければならない。でも、時間がない。

 

そんなこんなでここ最近はかなり精神的に滅入っていて、些細なことでものすごく疲れてしまうようになった。今日も朝バイト→病院→三田→先輩宅、というハードスケジュールで、正直先輩と会うより家に帰りたい。そんな気分だった。なんで先輩のお家にわざわざ私が交通費払って行かなきゃいけないんだ、中間地点で会えればいいのに、と無意味にイライラしたり。自己中すぎる。

 

だから、先輩の最寄り駅で先輩が友人と現れたときには思わずえぇ〜なんで友達といるの、2人で会うんじゃないの、と心の中で呟いてしまった。すぐ友達は電車に乗って帰ったし、先輩は私を迎えに駅まで来てくれたのに。

俺さっき起きた!とか無邪気にいう先輩に、もう寝たい…ってすごく失礼なことを言ってしまった。そしたら、大丈夫?って急に心配そうな顔になってしばらく頭を撫でてもらった。落ち着いた。現金だ。

 

先輩といると、楽しい。お金とかどうでもよくなってしまって、ただこの人と一緒にいたいと思う。愛情が向けられているのがわかる。身体が溶けて、心が溶ける。

 

おかげで帰る頃には上機嫌になってしまう。いつも。なかなかそんな人いないんじゃないかって思う。

 

あれ、なんの話をしてたんだっけ

 

 

アナウンサーになりたい、と小学生のときから思い続けている。

 

きっかけはなんだったんだろう。

お母さんに、「ねえ、私が大人になったら何になってほしい?」と聞いたとき、「うーん、薬剤師かな!」と言われたのは覚えている。次に聞いたときは「助産師さんとかどう?」と言われたのも覚えている。なんでどれも医療系なのだろう・・・。

 

小学五年生のとき、将来の夢について体育館で発表させられた。みんな劇とか歌とかにして夢を表現していたが、私は報道番組スタイルで紹介したのを覚えている。当時私はNHK以外基本的に見なかった(アニメは別)のでズームインやめざましテレビなども知らなかったのだが、「最後ズームイン!!ってやりなよ!」と友達に勧められてそれを付け足したことも覚えている。

 

なんでアナウンサー??

 

今でも自問するのだけど、よくわからない。

 

なんとなく(ほんとに理由もなく)、ニュースを見ながらお母さんに、「アナウンサーはどう?」と聞いて「いいんじゃない~?」と言われたのがきっかけ・・・・だったような記憶がある。

 

つまり、「なんとなく」が理由・・・・・・・。

 

 

・・・・・・・。

 

 

それなのに私は20歳になった今もアナウンサーに漠然としたあこがれを抱き続けている。「憧れ」という点にキーがあるのではないか?

 

アナウンサーには自分にはないものがたくさん含まれている気がする。

 

たとえば、体力。話を円滑に進ませる会話力。すぐに適切な切り返しができる頭の回転の速さ。自信。プレッシャーに耐えうる冷静さ。トラブルが起きたときにも対応できる柔軟性。

 

私は結構ぼーっとして1つのことについて熟考してしまうタイプで、どう考えてもアナウンサーのような素早い切り返しには向いていないように思う。

けど、憧れはどうしても消えない。

 

もう一つ、困ることがある。

もうアナウンサーなんて目指さないぞ!絶対私には向いてない!と思うときに限ってまたこの憧れを再燃させてしまうような情報が入ってきてしまう。

たとえば、中学の演奏会のアナウンス。テレビ局でのバイト。収録の案内・・・・。

 

こういう場でアナウンサーみたいなこと、もしくは本当のアナウンサーを見るとどんどんなりたい欲が増す。声を使うことは楽しい。自分の声は自分ではよくわからないけど褒められることがあって、それをつい活かしたくなってしまう。

 

けど、どう考えても私はアナウンサー向きの性格ではなくて、絶対なれない、なっても苦労する・・・・といつもいつも考えてしまう。ジレンマ。

 

 

大学二年生になって、就活や卒業後についてよく考えることが増えた。

アナウンサーを本当に目指すのか目指さないのか。

もしアナウンサーを本気で目指すなら、二年時にはアナウンサースクールに通って発声などを学ぶ必要がある。

つまり、今がラストチャンス。ラストチャンスという言葉に弱い。なんでもかんでもやれることはやりたくなってしまう。だから、ひとまず体験だけ行ってみて、良かったら続けるかもしれない。一か月の受講料は2万。バイト代でだすことになるだろうから、今まで以上に自分の時間は減ってしまうだろう。でも。あきらめてモヤモヤするよりずっといい。

 

ひさびさに、ちょっと、アクションしてみようと思う。

考えているだけで動かなければ何も変わらないもんね。

long

不在が存在よりも濃い気配を作る という一節が小説で出て来たのですが、いまのあなたは私にとって、まさにそれです。一緒にいると安心して眠くなってしまって、存在を味わうというよりただ感じるといった方が近いのですが、いないと猛烈に寂しくて、何をするにも、ここにあなたがいたら…と考えてしまいます。ずっと四六時中べったりしていたい訳じゃないんです。あなたとバイバイした直後はむしろ心地よい満足感に包まれて、「これでしばらくは1人でも平気だ」などと思うのですが、24時間経たないうちにあなたで頭が埋め尽くされてしまいます。これは束縛よりも恐ろしいです。束縛されている状態なら、まだ恋人より自分はマトモだと思えるのに、自然と頭がいっぱいになってしまう状態はそれを許さないので。


マトモじゃないのかもしれないという考えは私をおかしな行動に駆り立てます。いや、言ってしまえば昇華なのですが、面倒くさがりの自分が掃除や料理に精を出したり、運動が好きじゃない自分がランニングや筋トレにいそしんだり、この間なんて、何を血迷ったのかファイナンシャルプランナー検定の勉強をしたり、秘書検定にまで手を出したり。ただあなたの恋人としての私に傾きすぎたバランスを個人としての私へと戻そうとしてるのかもしれません。勉強や料理や運動は1人でもできるから。


もとは寂しさが理由で始めた1人の時間ですが、案外私はこれを気に入っています。でも、あなたと会う時間はもっと好きです。だから、私はあなたと会ったことで二度美味しい思いができるわけです。そして、(あなたにとっては良いことに?)どちらの時間においても私の心は、あなたのものです。寂しさとか独占欲は悪いものとして語られがちだけど、そうとは限らないと、あなたと付き合って気づきました。もちろん、朝、隣にあなたがいなくて、寂しくて心がぐしゃぐしゃになるときもあります。そんなときは、椎名林檎の「人生は夢だらけ」の「あの人に愛してもらえない今日を 正面切って進もうにも 難しいがしかし」というフレーズが浮かんで、起きたてのがらがらの声で口ずさみます。
しかし、のあとに
「実感したいです 喉元過ぎれば ほら酸いも甘いもどっちもおいしいと」と歌詞が続きます。


どっちもおいしい。たしかにすぎてしまえば美しい思い出になりますが、今しか生きる能がない私はよく拗ねたりします。会いたい会いたい、と連呼してしまいます。もしかしたら困らせてるかもしれませんね。ですが、いつもそこであなたが優しい言葉をくれるのですごく満足してしまいます。不服ですが、単純なので…。私の良いところの1つに単純さがあるというのも、あなたから学んだことです。


一方で、このあいだ知り合いと話をしていたのですが、あなたはとても繊細だな、と感じることがあります。外から見ると豪快だけど、繊細なあなたが私は大好きです。多面体みたいな人になりたい、という目標が私にはあるのですが、これは具体的にいうとあなたみたいな人です。自分で自分がわからない、それが悩みだ、といつか話してくれたけど、私はそのまま、わからないままでいてほしいな、と思います。知らない部分があるって、掴みにくくてしんどいけど、素敵です。


色んな人から「お前だけは自分のことをわかっている」と言われがちなあなたですが(それをあなた自身はあまり好ましく思っていないらしいのも知っていますが)、それも多面体だからなせる技というか。多面体・◯◯と呼びましょうか。なんだかかっこよくないですか。…人に合わせた対応ができるってその人に対して一定の愛、言い換えれば、思いやりがないとできないと思います。だから、あなたの周りには愛が溢れているのかな、と思います。お父さん、お母さん、地元の友達、サークルの人たち、私が会ったことのあるあなたの交友範囲はそんなものですが、あなたはとても愛されているな、と思います。あなたを取り囲む空気は優しい気がします。たくさんの人に愛されて、これからも幸せでいてください。そのうち私が愛した期間が一番長くなるといいな、と目論んでいます。
とてもとても長くなりましたが、お誕生日、おめでとうございます。


愛しています。

かわいいは健康

最近「美」について考える。

 

ダイエットがうまくいかない。かわいくない。ミニスカートが似合わない。足太い。あーまたパン食べちゃった・・・

 

とか考えてると精神的にどんどん参ってくるのは女子なら経験あるのではないかと・・・。

でも、ダイエットのために好きなものを我慢するって、かわいいのために好きを犠牲しているようで、それってどうなの?って思うわけです。

かわいい、好き、ってどちらもポジティブな感情で、どっちも両立するべきものなのではないかと。

かわいいと我慢って別ものなんじゃないかと。

 

どうにかして好循環を作れないかなぁ~と思う。

最近気づいたのは、ダイエットがうまくいっていても爆食いしちゃうと次の日もその爆食い習慣が尾をひくということ。胃が大きくなっちゃうのかもしれない。

あと、愛情がたりてなかったりストレスがあるとついつい食べ物に走っちゃう。

保存料・化学調味料の入っているもの、たとえばスナック菓子とかインスタントラーメンとかも、すぐ肌が汚くなるし中毒性があるのかわかんないけど、止まらなくなってしまう。

 

そう考えると、ダイエットとか美容を妨げるのは「不健康なもの」であって、健康な生活をしていればおのずと痩せていくのではないかと・・・

 

思い出すと3か月前に私は個人的健康キャンペーンをひらいていた。

・どうしてもお腹がすいて集中できなくなったら、変なものが入っているお菓子じゃなくて、少し高めの良いお菓子を少し食べる

・スナック菓子があったら隠す

・お米とかパンも食べていいけど、全部腹8分目(ちょっと足りないな~と思うくらい)でとめる

・いっぱい水分(おなかを冷やさないように常温かホットのもの)をとる

・毎日体重計にのる

代謝をあげるのが良いと聞いたのでお風呂に入る前に軽く筋トレをする

・お風呂からでたあとにストレッチとオイルでマッサージをする

・姿勢をよくする

・7時間は寝る

 

などなど思いつく限りの「健康」をしてたわけです。そしたら自然に一週間に3キロ減ったしかわいいって言われるからうれしくてストレスも減り、好きな服も着れる。スナック菓子とかを欲さなくなる・・・・・・などなどすごい良い効果がでまくったわけです。

 

なんで今これが続けられてないかというと新歓イベントの合宿のごはんの量が多くて、けど残さないように食べてしまったり、新しい環境でストレスがあったり・・・・。

健康生活維持するのってめちゃくちゃ難しいんです。

 

けどあの時期に戻りたいな~~と思ってまた挑戦しよっかな、って。

それで思い起こしたらかわいいって健康だよな~って。思った次第。別に好きなもの我慢しなくてもいいけど適量が大事だし、体の声をきくのって大事だよね~。

 

淡い

 

「手料理、ひさびさに食べた」

 

と恋人がお弁当を食べながらふとこぼしたのを思い出した。

 

今日の夜7時ごろ、食べたくもない夕食をみんなに合わせてコンビニで買おうと、うろうろしていたらミックスサンドを発見した。ミックスサンド。たまごのサンドとツナサンド、ハムレタスチーズのサンドの三つ入りで200円と少し。他のサンドイッチよりもお得感があるので、私と恋人は好んで買う。

 

前に買ったのは、東川口の駅だった。

 

行為をしたあとだったのでひどく空腹で、(私たちは大抵5時間くらいかけるのでクタクタになる)私の電車が来るまでの時間に何か買おうとニューデイズに入った。

 

恋人がそのときに、これいつも買っちゃうんだよなー、と言いながらミックスサンドを手にして、私もそうしよう、と思って2人で買った。

 

ニューデイズを出ると電車の出発時間まであと3分で、時間がないな、と思い「じゃあ、また」と恋人にいうと、

 

「え、一緒に食べようと思ったのに…まぁ、しょうがないね!またね!楽しかった!」

 

と言いながら彼は踵を返して去って行った。

 

そのときは、あ、悪いことしちゃったかな、くらいだったけど、今ならわかる。

 

1人で食べるミックスサンド、もしくはコンビニの料理ほど不味いものはこの世にないと思う。

 

一食にしてはあまりにも柔らかすぎて、食べた気はしない。ツナも味が濃ゆすぎるし、たまごは保存料の味がする。不自然な黄色。レタスもペラペラの一枚。

今日これを東海道線グリーン車で食べながら、少し泣きそうになってしまった。

彼はあのあと一人でどんな感情でこれを食べたのだろう。あの人のことだから今の私ほど味わってはいないだろう。そうであってほしい。これはゆっくり食べるほど虚しくなる。丸呑みするくらいがちょうどいい。

 

もう、一人の時はコンビニでご飯なんて買いたくないと思ったし、恋人にはちゃんとした手料理を毎晩食べて欲しい。食べ物が不味いと、それを摂取した身から心へ悪いものが流れてくる気がする。

 

昨日から帰省しているけど、恋人は母の手料理をちゃんと食べているだろうか。愛情のこもった料理を、彼が食べていますように。

とりとめのないこと

電車の反対の座席に座る、小さな女の子の目がキラキラ大きく輝いていた。

 

友人が呑んだくれになっていて禿げの面積が増えていた。ふっくらしていた。

 

余裕のなさそうな顔立ちの人が余裕のない表情を浮かべてレジへ走って来た。

 

普段と同じ化粧をしていったのに、普段より白いね、ペインティング頑張ったの?って言われた。

 

土砂降りの朝から一転、相鉄線の特急から見る空は一面真っ青だった。

 

顔立ちに人相が出ると話している本人には哀愁が漂う。例えるなら高校の頃はダークグレー、今は透明感のある藍。

 

どこか人とのコミュニケーションの仕方が、恋人に似てきている気がした。

 

付き合いってなんだ、という話になって語っていたらお互い恥ずかしくなってしまった。

 

娘を見る母親の表情が柔らかい、と思ったらうとうとしているだけだった。

 

サラリーマンは大抵脚を広げてバッグを膝において座りながら眠っている。

 

話す上でこれっぽちも言語化できていない気がするのは何故だろう。

 

あの子が恋人と別れたらしい。けど、その結果もっと綺麗になるんだろうな。

 

美的感覚が違うけど、そのズレについて私は言葉に出して批判するまでの勇気を持っていない

 

女の子がアンパンマンと叫びながら電車から降りた。